学校紹介 | 飛鳥小学校の紹介
飛鳥小学校の歴史
飛鳥小学校は、明治6年に創立されました。令和5年度には150周年を迎えました!
生活のめあて ※第18代 辰巳 文一 校長策定(昭和56年)
あいさつをする子 すすんで仕事をする子
からだを鍛える子 かおを見て話を聞く子
「飛鳥」という名前に関わって
みなさんは「飛ぶ鳥の 明日香(あすか)の里を 置きて去(い)なば 君があたりは 見えずかもあらむ」という歌を知っていますか。
これは、万葉集という日本で最も古い和歌集[日本の歌を集めたもの]に、のっている文章です。
和銅3年[西暦710年]に、藤原宮[現在の奈良県橿原市]から、平城京[現在の奈良市]に、都(みやこ)をうつすときに、当時の天皇である元明天皇が、御輿(みこし)を長屋の原[現在の奈良県天理市]にとめて、ふるさとをしのんで詠(よ)んだ歌といわれています。
奈良市にある飛鳥寺が平城遷都[平城京に都を移すこと]にともなって移転(いてん)された元興寺や瑜伽(ゆうが)神社付近は、空気の澄んだ日は大和三山を望むこともできます。古の飛鳥の都[現在の奈良県明日香村付近など]に、その佇(たたず)まいが似ていることから、この辺りを「平城(なら)の飛鳥」と呼んでいました。諸説ありますが、このような理由で本校区を飛鳥地区と呼んでいるそうです。(実は、ほかにもたくさんの説があります。興味(きょうみ)のある人は調べてみましょう!)
このように、歴史ある地域に住んでいることを誇りに思い、地域を大切にできる人になってください。
瑜伽(ゆうが)神社からの秋の風景
飛鳥小学校区[あすかしょうがっこうく]の最大[さいだい]の魅力[みりょく]の一つは、日本[にほん]の中[なか]でも、あるいは世界[せかい]の中[なか]でも、非常[ひじょう]に歴史[れきし]があり、景観[けいかん]のすばらしい場所[ばしょ]が身近[みぢか]にたくさんあるということです。左[ひだり]の写真[しゃしん]は、飛鳥[あすか]の名前[なまえ]の由来[ゆらい]にもなっている瑜伽神社[ゆうがじんじゃ]からの秋[あき]の風景[ふうけい]です。見事[みごと]な紅葉[こうよう]です。
飛鳥小学校[あすかしょうがっこう]に通[かよ]っているときは、なかなか分[わ]からないかも知[し]れませんが、大[おお]きくなってあらためて自分[じぶん]の小学校[しょうがっこう]の時[とき]の校区[こうく]を思[おも]い出[だ]したとき、自分[じぶん]はすばらしい地域[ちいき]に住[す]んでいたもしくは、住[す]んでいると思[おも]える場所[ばしょ]だと思[おも]います。